龍神林業の沿革

戦前の地域林業
造林の発祥約200年前〜昭和20年

人工林の名残、財産保持粗放経営

約200年生の杉龍神村の造林の歴史は200年くらい昔にさかのぼり、丹生ノ川(にゅうのがわ)流域には、今も林齢200年前後の杉、檜の人工林の名残があります。
当時は村民のほとんどが山林を所有していましたが、大正から昭和の初期にかけての不況時に、山林の多くが田辺、御坊方面の商人や素材生産業者、製材業者等の手に渡りました。

戦後第1期「森林資源造成期」
昭和21〜39年

拡大造林の推進、人工林率約60%、急激な過疎現象始まる

筏流し昭和20年代の終わりごろまでは林業は粗放経営が多く、天然林へそのまま1ha当たり3,000本程度の植林を行い、その後、年々下刈りと並行して雑木を巻枯らしてゆく方法がとられていました。搬出はもっぱら流送により、筏流し(いかだながし)や管流し(くだながし)が日高川の名物となっていましたが、昭和28年7月紀南地方を襲った大水害により壊滅的な被害受け、その後道路の整備とともに全面的に陸送に切り替わりました。 販売は「山を売る」という言葉に見られるとおり、「この山いくら」で取引され、木材の質は問題視されませんでしたが、戦後になって出石売り(でごくうり)や入札売りに移行しました。

第2期「人づくり、組織化の時期」
昭和40〜45年

村ぐるみ林業振興の体制づくり、龍神村森林組合、龍神林業開発会議発足

龍神材昭和40年11月1日に奥日高・上山路・龍神の3森林組合が合併し龍神村森林組合が発足。昭和42年に龍神村が第一次林構の指定を受け、龍神村森林組合の資本装備を強化し本格的に林産事業に乗り出しました。その後、奈良県桜井市場等へ出荷されたことにより龍神材の質の良さが認められ、同時に過去において龍神村地域の良材(龍神材)が吉野材の名で取引されていた実態も判りました。又、この頃から過疎から村を救うために、地場産業である林業を振興しようという声がおこり、林業関係者の組織化とともに”村ぐるみ林業”の取り組みを推進するため、昭和45年に龍神林業開発会議が発足しました。

第3期「組織活動強化の時期」
昭和46〜50年

村ぐるみ林業の推進、素材市・製材工場開設、龍神材のPR作戦展開、先進地に追いつけ追い越せ運動

第4期「地域林業の成熟期」
昭和51〜59年

良質材の生産地形成、活力ある林業地づくり、製材製品県外初出荷、間伐材流通センター等木材関連産業の育成

第5期「龍神林業の確立期」
昭和60〜平成14年

プレカット工場等木工施設整備、龍神住宅(株)設立、公立建造物木造化促進、グリーンワーカー等林業従事者の育成

昭和60年以降、龍神地域林業振興の方向について真剣な討議が繰り返され、県外先進地の視察等を通じ、粗放林業から商品生産林業への脱皮を図る気運も高まり、「植栽本数は4,000〜6,000本」、「下刈りを早く仕上げる」、「枝打ちの励行」、といった施業が定着化し、良質材生産地としての基盤作りを進める一方、素材供給から製品販売、住宅産業への進出、また、グリーンワーカー・グリーンマイスターの育成、FSC認証取得等、先進的な取り組みが行われました。

第6期「林業の低迷の中での模索」
平成15年〜現在

木材価格の低迷、組織体制の見直し、高性能林業機械の導入、森林保全を見据えた事業展開

平成18年、木材価格の低迷により、木を山から出しても林家にお金が残らず、従来の森林経営では立ちゆかなくなった事で、龍神村森林組合は経営の悪化に陥り、組織体制の大幅な見直しを行いました。

高性能林業機械現在、龍神村森林組合は高性能林業機械導入による施業コスト削減や、提案型林業の推進にも取り組み、また、企業の森事業や間伐の促進等、国土保全・地球環境の保護を考慮し、経済財のみならず環境財としての価値を高めた森林作りの一翼を担う組織を目指しています。

林業を地域振興の軸とし歩んできた龍神村にとって、木材価格低迷等による林家の山林管理意欲の減退や、高齢化・後継者不足等、解決すべき問題は山積みですが、近年の地球温暖化対策による森林保全施策、自然志向ブームやライフスタイルの多様化等による若年層の林業への新規参入など追い風も吹いており、当組合も健全経営に努め、龍神村のみならず林業界全体の活性化に繋がるよう役職員一丸となり邁進していきたいと考えております。

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